生きる意味?
金曜日に弁護士に会ってきた。
刑事裁判の弁護士は、裁判の途中で脳梗塞で他界され、控訴審までお手伝い下さって上告審は弁護士不在のまま私は被害者家族として最後まで東京地裁に通った。
刑事裁判は、国選弁護人だったが、民事になると私選弁護人に依頼しなければならない。
かなりの額を先に支払わなければならない。
色々な経費がかさみ、仕事すら出来なくなった私には負担が大きいが、息子の無念、私の怒りをぶつけるにはこの方法しかないから弁護士に頼るしかないのだ。
着手金をどうにかかき集めたら、裁判が終了した時の弁護士報酬を稼がなくてはいけなくなる。
裁判で勝訴したからって被告側が踏み倒す例が殆どだそう。お金が欲しくて裁判をおこすわけじゃないから、一生つきまとう程の罪の重さをわからせたいから。
戦わなければ私が生きている意味がないから。
息子は死んでしまった程に痛い思いをしたのなら、お母さんは、死ぬ気で、戦うためのお金を工面しよう。
あの憎いヤツらを法律でやっつけたら、心残りなく君のところに逝ける気がする。
自己満かもしれないけど、今は憎しみだけがお母さんを生かしてるのかもしれない。
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